コラム

第1話 三原文化会館前の小さな森

第1話 三原文化会館前の小さな森

北公民館に仮住まいしている。

苅田町青少年育成町民会議は平成元年の発足以来36年、国指定・石塚山古墳と隣接する三原文化会館に事務局を設置し、活動拠点としてきた。しかし、令和7年7月末で会館は閉館となり、町民会議事務局も立ち退くことになった。とりあえず事務局が移ったのが北公民館なのである。

10月、三原文化会館の解体工事が始まった。なぜ、閉館・解体されるのか。苅田町庁舎が老朽化したため、三原文化会館と分館の歴史資料館を解体した跡地に新庁舎を建設することになったのである。

解体が終われば、跡地の発掘調査が始まる予定だ。調査範囲は石塚山古墳に連なっているため、古墳造成時期の遺物が出土するのではないかと注目されている。

石塚山古墳は3世紀末から4世紀初頭に築造されたと推定される畿内型の初期前方後円墳で、九州では最大・最古級である。後円部の竪穴式石室からは江戸時代の寛政8年(1796)に、三角縁神獣鏡が出土している。

石塚山古墳は三原文化会館玄関の正面に横たわっている。墳丘を覆った樹々は古墳の姿を隠し、小さなただの森に見せかけている。

小さな森は一度だけ注目を浴びたことがある。昭和60年、国の史跡に指定され、それを受けて昭和62年に後円部の発掘調査が実施されたときである。調査の結果、石室から三角縁神獣鏡の破片が発見され、それが江戸時代に出土した鏡のうちの一枚の欠損部分と符合したため、時空を超えた鏡の合体としてマスコミで報道され、注目を浴びた。

しかし、ほとぼりが冷めると、小さなただの森に戻った。

三原文化会館閉館の噂が立ち始めた令和5年7月、町民会議は「ふるさとの歴史を学ぶ事業」と題して、「古墳にコーフン!? 前方後円墳って何? 古墳のカタチにこだわるタイムスリップの旅」を実施した。三原文化会館の前にある小さな森が古墳であることさえ知られていないことから、子どもたちに、地元の歴史や文化財に興味をもってもらおうと企画したものである。

参加した小中学生たちは前方部から後円部へと歩き、段差や葺石を発見することで、ただの森が約1800年前の前方後円墳の墳丘であることを実感した。その後、みやこ町に移動して、綾塚古墳(円墳)と甲塚方墳を見学、時代と共に古墳のカタチが変わっていくことを学んだ。

石塚山古墳の話は続く。

(第2話へ)

PAGE TOP